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- くつろぎの広場 -

常に更新の努力中ですが・・・・、最近よく休まさせていただいています。お許しを。既文も勝手に適時改変しています。無理せず、ぼちぼち読んで下さい。くたびれますから。ただ日を置いて何度か繰り返しお読みいただくことをお勧めいたします。読めば読むほど味が出る?

1年振りのくつろぎです。写真で御免。

2008年10月17日

旧春鼎談2007(宇宙の真理を詠んで1)

司会「明けましておめでとうございます。年の経つのは早いものです。恒例のくつろぎの広場での鼎談も今年で4回になります。今まで、時空を越えて、多くの方にご出席いただきました。今年は、昨年のお約束の新彊、楼蘭4,000年前の美少女にお願いする予定でしたが、未だ眠りから覚められないとのことで、本日は(宇宙の真理を詠んで)と題して男性お二方とお話をさせていただくことに相成りました。(皆さん:男ですか、誠に残念です)では、先ず卜部さん、いや吉田さんですね。吉田さんは人間の社会での在り方を醒めた眼で評論され、今に至ってもその鋭い洞察には日本に限らず世界においても多くのファンをお持ちとお聞きしていますが、その吉田さんから見て現在の日本の状況など、どう感じられて居られるか、その辺りからお話していただければと思います。」

吉田「吉田です。私のような者の考えが、今でも受け入れられるとは、やはり人の世は変わらないものだなあと、人の心の進みというものは、技術の進歩とは反相関する、つまり後ずさりするものではないかと実感しています。」

司会「出だしから、厳しいお話ですが、確かに現代社会は多様な技術、つまり衣食住の充実から、医療や交通の発達など、吉田さんの時代とは比べようもない利便性の向上があり、寿命も延び、情報も豊富、いや過剰であるほどになっています。このような豊かな時代にあって心のワクワクするような充実感がなくなってきています。例えば時間がない、あっという間に過ぎてしまうことを嘆くということは、どういうことなんでしょうか? 確か、第9段に『つくづくと一年を暮らすほどだにも、こよのうのどけしや。飽かず惜しと思わば、千年を過ぐすとも、一夜の夢の心地こそせめ。』という件がありました。吉田さんの言うように人は『のどけし』日々を暮らすことができるのでしょうか?」

吉田「それは第7段ですが(司会「失礼しました」)、これを書いたのが700年ほど前ですので、千年にはまだ至りませんが、正直、私も一夜の心地です。(笑い)現代のように多少寿命が延びたからといっても、一生を一夜と感じることは残念なことだと思います。しかし、人には欲、煩悩があります。たとえ人が砂丘の一つの砂粒のような存在であったとして、またはそれにも満たない存在であるのにも関わらず、全宇宙をも飲み込むブラックホールのような限りない欲望、それが喩え空虚なのものであっても持つことができます。

このような無に近い存在と意識の自由さとが現と夢との間で欲望となり、自己の本来のもの、恐らくそれは突き詰めれば仏教で言うところの阿頼耶識でしょうが、その自覚を失わせて、時の消失を招いているのでしょう。これについて、例えば、私より千年前のローマの賢人セネカは『われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれが勝手に短くしているに過ぎない。せっかくの人生を無意味に無駄遣いしているのである』と言っています。勿論私は『のどけく』暮らすことはできると思っています。しかしそのことが本当に良いことなのか分かりません。それは残念ですが、恐らくほとんどの人間は自分の欲望を全て断ち切ることは容易でないですからね。」

司会「ある哲学者が『人間の本質は隠蔽である』と看破していました。この『隠蔽』と先ほどの『欲』とは、結局は表裏一体となったものなんでしょうね。」

吉田「はいその通りです。人にとって時間は、いくら時代を重ねようと常に瞬きでしかないのでしょう。」

司会「そうでしょうね。ところで最近では『隠蔽』すらありませんしね。」

吉田「まさに五濁悪世、平安末期か、またはそれ以下でしょう。」

司会「この辺り、松尾さん如何でしょうか?松尾さんの時代は寛文、延宝、天和、天保、貞享、元禄という社会の成長、安定、爛熟期ですよね。現代からみて、松尾さんの生きた時代の断面を切り出せば、戦もなく世は『のどけき』時代ではなかったのでしょうか。その世に敢えて『行く春や 鳥啼き魚の 目は泪』と詠み、苦難の茨旅に出られたこと。それは『のどけさ』への挑戦ということではなかったでしょうか?」

松尾「まさにその通りかもしれませんね。安泰の世に庶民として質素にも句を詠み、悦に入る、これで良かったのかもしれませんが、悦に入らされる自らを省みたとき恥じ入る自分を認めざるを得ない、つまり句でもって著すものが真の実態とあまりに大きく隔たり、その隔絶感の苦しみということはあったと思います。俳句とは何か?一捻り技巧に入る行為とは何なのか。生命と自然、つまり宇宙との関わりを短い言霊で切り取り表そうとする以上には、突き詰めて残るのは生死感しか無い訳ですから。結局最後には平安末期の『羅生門』の下人のように悩む日々でした。」

吉田「つまり芥川の言う、野垂れ死にするか、追剥になるかの選択の悩みということですか!」

松尾「はい、流石に吉田さんですね。」

司会「どういうことでしょう?」

吉田「つまり、巧の極致を目指さざるを得ない句作でもって『のどけさ』を求めることはむしろできない、もしそうであれば、追剥のようにして金品を受けることと同じではないか。そのため旅に出て、生死の境から宇宙の真理に近づくことを目指されたのではないか、それが野垂れ死にであっても致し方ないという覚悟ではなかったかと思いますが、如何でしょうか?」

松尾「はい、その通りです。羅生門の下人は死人の髪を引き抜く老婆から衣服を取り去り、追剥を選択しましたが、人間というものは煎じ詰めれば、追剥と変わらないのかもしれません。私にはそれはできなかったのです。」

吉田「句作での虚構への反発、それとやはり西行への追慕はなかったですか?」

松尾「そうかも知れませんね。西行法師の旅路は魅力的です。そのために野垂れ死にも覚悟したのは確かです。」

司会「厳しいですね。そう言えば私は先日、小夜の中山に寄ってきました。」

松尾「そうですか。あの峠は馬で越して辛かった。今は長閑な茶畑のハイキングコースと聞いています。行って見たいなあ、もう一度・・・」

吉田「私も通りましたが東海道3大難所の一つで、大変でしたね。そうそう有名な富士見西行の歌があります。『風になびく 富士のけぶりの空に消えて 行方も知らぬわが思いかな』ですね。」

[富士見瓜坊 小夜の中山にて 2007/01/04]

司会「それと、もう一つ、」

松尾『年たけて また越ゆべしと思ひきや なりけり小夜の中山』

司会「そうそう、西行法師は同じ場所を生涯に2度訪れて詠んだんですよね。松尾さんは恐らくこの『命』に惹き引き寄せられたではないかと思っていますが如何でしょうか?」

松尾「はい、そうかも知れませんね。西行法師69歳の句ですが、これは命を絞った歌であろうと思います。私にはあまりにも衝撃的な」

司会「寺の勧進のために陸奥までの旅の途中でしたが、その御歳にて、東大寺という所は過酷な出張をさせるものですね。そう言えば、先日、奈良の遺構から発見された10世紀末の、つまり平安時代ですが、その木簡に

飯壱升 伊賀栗拾使□

(間カ)食料 八月廿七日

目代□□

とあり、これは西大寺が栗拾いに伊賀に派遣した使者に、米一升の弁当を出張旅費として与えたものですね。毬(いが)栗とは随分と暢気な感じがしますが。」


松尾「確かに。でも西行法師はご苦労されたと思います。武士からの転職ですからね。今じゃ転職は当たり前になっているかと思います。確かエアレックスの社長も4度目かと聞いていますが。昔は、今も変わらないかも知れませんが転職なんて考えられない。特に寺は官公庁と同じで硬直した組織ですからね。そう言えば吉田さん、第152段西大寺の静然上人、腰かがまり、眉白く、誠に徳たけたる有様にて・・・「あな、たふとのけしきや」とて・・・「年のよりたるに候」ともうされけり。後日に、むく犬のあさましく老いさらぼいて、毛はげたるをひかせて、「この気色たふとく見えて候」とて』とありましたが」

吉田「はい、歳さえとれば偉く見える時代になってきていましたからね。西大寺も東大寺も。私の時代は鎌倉前期で、貴族文化が衰退し始めて、ご存知のように疫病の流行があり、戒律中心の釈迦の教えの形骸化、末法思想の真っ只中でしたからね。このような批判も公然と出てきていました。でも西行法師には途中入社というハンディキャップがありましたからね、年をとっても組織の中では認められることはなかった。それが結果良かったのでしょうね。そのため、偉くなる意味があまりにも人の生とは無関係、いや反するものであるとさえ思われたのは共感できますね。」

司会「成る臍、時代背景、そしてその時代でも現代社会とあまり変わらないことが少し見え始めてきました。」

吉田「でも、栗拾いの出張なんて、のどかに思えますが、実際にはそれこそ追剥もそこ此処にいる社会でしたからね。」

司会「なおさら現代と変わりませんね。そう言えば吉田さんは第11段に『神無月のころ、来栖野というところを過ぎて、ある山里をたづね入る事侍りしに、・・・さすがにすむ人のあればなるべし。「かくてもあられけるよ」と、あわれに見えるほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが周りを、厳しく囲ひたりしこそ、すこしことさめて「この木なからましかば」とおぼえしか。』とあります。教科書にも載っていて、ヘエ~そうなんだと子供心にも感動したことを覚えていますが、一方で都人の悠長な意識も感じますが。」

松尾「私も、その意見に賛成です。実際には事情は少し異なるのではないのかと思っています。つまりこの囲いは、猿、鳥の被害から守るためであって、決して追剥、盗人を意識したものではないはずです。例えば現代の少子化時代の特に田舎では猿の数の方が子供より多いはずです。そのため猿害も相当酷いですからね。」

司会「この頃の日本の田舎では、猿が法事の有無を知って留守を狙うなんて話も聞きますよね。」

吉田「そうですか、そうかもしれませんね。これは素直に訂正、反省しますよ。」

司会「あまり気になされないで下さいね。実は私はこの段を読むといつも

『段々と 人里近くなりにけり あまり山の奥をたずねて』を思い出してしまうのですが。」


吉田「それは肥後の国の家老の辞世ですね。確かにこの歌は人の心の奥深さ、人生、心理または真理、これらと宇宙との関わりを暗示しているよう思いますね。ところで、先ほどの小夜の中山に戻って、松尾さんは野ざらし紀行で、『馬に寝て 残夢月遠し 茶の煙』と詠まれました。一方、西行法師は、これは中山ではありませんが『まどひ来て 悟り得べくもなかりつる 心を知るは心なりけり』と詠んでいます。私も、彼らも法然の念仏一心により極楽往生をというような陶酔思想には到達できませんでした。そのため、人として夢を語り、残し、心惑う姿を然として受け入れる、そのような人でありたいものですね。」

松尾「吉田さんからそのようなお言葉が出るとは正直思いもよりませんでしたけれど、確かに未練を持つのが人の自然な姿なのでしょう。」

吉田「でも松尾さんは、実際にはその惑いを切り捨て、ついには宇宙の実相、つまり真理を捉えておられたと確信しています。」

司会「宇宙の真理ですか、それは、どういうことですか?」

吉田「それは、松尾さんが尾張、鳴海の星崎で詠まれたあの・・・」

司会「そうそう、それは崎の を見よやと 啼く千鳥』ですね。」

吉田「よくご存知ですね。」

司会「いや、この句の詠まれました近くをいつも通勤しているものですから。今では高速道路と住宅地の真っ只中で、千鳥も松尾さんの時代のもありませんね。ただ、私が身近であったから覚えていた訳ではなく、どうもこの句には隠されたものがある。例えば闇を見ると千鳥が居るということなのか、千鳥が闇を見なさいと言っているのか分からない、気になっていたんですよ。」

吉田「それは、闇を見なさいということですよね、松尾さん。」

松尾「はい、その通りです。で、どうしてそう思われました?」

吉田「実は、ヒントはこの星崎にありますね。つまり“星の”ではないですか?」

松尾「分かりましたか!嬉しいですね。これは、最新の宇宙科学そのものなのです。」

吉田ダークマターでしょう。」

松尾「はい、その通り、ダークマターです。」

司会「ダ、ダークマター?何ですかそれは、現代の私が知らなくて、皆さんが知っている!それは。」

吉田「現代に来て学んだのですが、それは宇宙の全質量の二割を占める謎の暗黒物質のことで、ダークマターと言っています。このダークマターの空間分布が銀河の分布と類似していることが分かったのは、ほんのつい1月前ですね。つまり銀河形成に暗黒物質が関与しているという推論が証明されつつあるのです。」

松尾「このダークマターは通常の物質の6倍近く存在し、光や電磁波を出さず、ガスなどが集まって銀河を形成する際に不可欠なものと思われています。」

司会(皆さん)「ヘエ~松尾さん」

松尾「これはどうも宇宙のビッグバンで誕生したもので、その密度の濃淡から星、銀河が誕生したのではないかと考えられています。我々、人類の知っている物質のだけでは説明がつかない未知の物質です。

吉田「宇宙の質量の内、通常物質の質量はわずか4%、暗黒物質が23%、アインシュタインはこの暗黒物質のエネルギーを宇宙全体の73%と推定しているのです!」

司会「知りませんでした。如何に私たちが固定観念に囚われて真実を見ていないかを感じますね。」

松尾「例えば人の出すエネルギーは、単位重量当たりを比較すると太陽の核融合よりも大きいのですよ!」

司会(皆さん)「ヘエ~本当ですか!松尾さんや吉田さんが、エッセイ、俳句だけでなく宇宙科学にまで造詣が深いとは思いもしませんでした。ところで、私にはまだ、急にダークマターの話になってしまい、宇宙の真理と星崎の闇の意味が・・・・アッそうか!星の先の闇、つまりダークマターですね。」

吉田「そう、そうなんです。松尾さんはすでに江戸時代に、野垂れ死にの境からこの宇宙の真実、つまり4次元的常識では説明できないものを見通されたのです!」

司会(皆さん)「そっそうなんですか!松尾さん」


松尾「行き着く確信がない真の旅で分かるのは、人は常に時空の闇の中に居るという確信です。現代人には闇を容易に照らす技術を得て、また安易に旅ですることができるようになり、結果として見えないもの、これは実は見るべきものですが、それがあまりにも多くなっているのでしょう。例えば光に限れば私達、いや人類の歴史の殆どは、長く陽月星稲妻蛍の発する光以外は闇であったと言って良い訳です。この闇が多くの見えない真実をむしろ炙り出すのです。つまり、真実は常に暗闇にあるものです。このは、暗黒真空のものではなく、文字の通り、音は見せるが光を失った空間です。ですから千鳥の鳴き声が聞こえたのです。このような闇での思索の過程から、星の先にある宇宙の真実、それが現代宇宙科学ではダークマターですが、それを見出したのです。恐らく宇宙は7次元で成り立っていると推論しています。」

司会「な~る臍、ゲに詩人の直感とは恐ろしいものですね。良く分かりました。この句に隠されたものがあると感じていましたが、まさかこれだけの深味があるとは思っても見ませんでした!・・・・

それでは、吉田さんの第20段ですが、『某とかやいひし世捨て人の、「この世のほだしも足らぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。』とあります。この部分をどのように解釈したら良いのかお教えください。どうも気になるのです。」

松尾「それは、私がお答えしましょう。人は奥山の奥に入れば、つまり真実を求めようとすると結局は人の心に近づく、迷えばその『心を知るは心なりけり』と突き放される、そのため人は改めて新しい旅に憧れるのです。実は心の旅路では、この迷いこそ真の宇宙であり、この心の宇宙はダークマターを含む宇宙と実は変わらない。逆に言えば、ダークマターとは人の心ということなのでしょう。人の一生は正に時空の逆旅の瞬間と言えます。しかしながら大宇宙の営みは偉大です。偉大と意識するのも心です。この宇宙、つまり時空の「時」には押し留める手立てはないものの、せめて「空」、実は光を取り去れば闇なのですが、それだけには名残だけでも心に封じたいと言うことですね、松尾さん」

吉田「全くその通りです。実に的確な説明だと思いますね。」

司会「そうなんですか!~1000年近い時代のフィルターに耐えて受け入れられる偉人とは凄いものですねぇ。つまり単なる『ソラ』ではなく、時空の『空』とは思いもよらない、そんなにも壮大な意味合いとは・・・」

吉田「もし、『ソラ』であれば、現代人にはお気の毒しか言いようもありませんね。名残を残したいような空がどこのあるのでしょう?悲しい限りです。それは空を汚したのは人のの果てない欲望の為せるものです。車社会、温暖化、汚染、オゾンホール、このようなソラに皆さんは未練を持てないでしょう。恐らく現代人にとって最も不幸なのことは、名残を持ちたい空を失ったことではないかと思いますね。」

松尾「空に限らず、水も、山も海も、・・・そして心もでしょうね。」

司会「どうも辛くなってきました。さて、話も詰まって、時間も押し迫ってきました。『名残の空を失ってきた現代人』、これは非常に重要な問題提起であると思います。その原因が、我々現代人の身勝手な欲望の結果であることは皆さんも容易に理解されることかと思います。今こそ美しい地球の空を取り戻すため、皆さんと共に努力していきたいと思います。もう、これ以上の自動車も要らないと思いませんか?パソコンの性能アップも不要ではないでしょうか?それよりもお互いを尊重し、助け合う心の養生の方が大切ではないでしょうか!そして、やはり『名残の空』を取り戻したいと強く思います。過去を見ない者は今を知ることもできないと強く実感いたしました。吉田さん、松尾さん、本日は小夜の中山から星崎、ダークマターまで、宇宙の真実を彷徨しましたが、大変興味深く、有意義な旅となりました。是非また、お越しいただきお話を伺いたいと思います。本日はどうも有難うございました。」

(皆さん):ヤレヤレ、パチパチ、ヤレヤレ、パチパチ、・・・・

*****

吉田「今日は楽しかった。でも、あの司会、最後は昂ぶっていましたね。それにしてもイヤ~、飲みましたねぇ。松尾さんも。」

松尾「私も久しぶり酔いました。」

吉田「イヤハヤ、お互い、同郷ですからね。」

松尾「私は伊賀上野、吉田さんのお墓は伊賀の阿保、今の青山ですからね。最後の住いも確か伊賀種生で、南北朝の動乱期には東大寺領でしたね。」

吉田「そうそう、西大寺の者が栗を取りに来たりしてね。ところで、松尾さん、例の『星崎の闇・・・』ですが、本当は何か他にあるのではないですか?」

松尾「さて?」

吉田「尾張星崎には旧岡田氏の居城があって、何か不穏な動きがあったとか、松尾さんも伊賀・者ですよね。」

松尾「・・そ、そうです・か、さて?」

吉田「それとの名残』で思い出したのですが、一番弟子の曾良はどうしていました?」

松尾「そうそう、一緒に今日みたいに飲んでいました。シコタマノ飲みましてね。」

吉田「そうですか、おっとっと、松尾さん大丈夫ですか、年をとると脚が弱っていますからね。特に旅で酷使されて、・・・酔い歩き、千鳥足には注意、注・・・アッ、もしかすると、あの千鳥とは曾良の千鳥足のことですか!」

松尾「・・・」

吉田「松尾さんの句作は虚構でもって心象宇宙の真を射るものです。俳風としては特に、万葉、古今の掛け言葉や、近松、西鶴の人情、十返舎や大友賛のような駄洒落など排除し、論理のみで構成したものですよね。もしこれが曾良の千鳥足のことであったなら、門人は・・・」

松尾「・・・見つかりましたか、流石、吉田さんですね。曾良も飲みすぎましてな、千鳥足で潟にドボン。闇の中で泣くのを救い笑ったものですよ。・・・おっとっとっと、吉田さんも危ない危ない、車が来ましたよ。」

『星崎の 闇を見よやと 泣く千鳥

セネカ   BC4~AC65

西行    1118年(元永元年) - 1190年 (文治6年)

吉田兼好  1283年弘安6年) - 1350年(観応元年/正平5年)本名は卜部

松尾芭蕉  1644年(正保元年)- 1694年(元禄7年)

芥川龍之介 1892年(明治25年)- 1927年(昭和2年)

2007年1月28日

美ヶ原高原

30年来の付き合いですが、これほど素晴らしい天気、風景は全く初めてでした。

 

電波塔と槍、穂高

2006年10月9日

クリスマス鼎談

司会「随分とご無沙汰してしまいました。気が付けばもうこの1年も終わりです。今年の紅葉は温暖化現象で今ひとつの中、世相だけは一層寒冷化し、丸で氷河期に向かっているようです。・・・先日も、前を走る車からペットボトルが放り投げられ誰かと見たら、若い女性でした。このようなことは驚くことでもなくなりましたが、それでもと気を取り直しまして本日は緊急年末クリスマス鼎談としまして特別にお二方にお越し頂き・・・お一人はまだですか。ま、良いか・・・・このサモシイ時代をどのように考え、どうすれば良いのか話し合ってみたいと思います。まず靴宅さんをご紹介します。今日は・・・お元気でしたか?」

靴宅さん「はい、至って元気です。心も身体も。ところで玄関の靴は如何ですか?」

司会「はい、お陰様で・・・、ところで靴宅さんは元宅配便配達の方でしたが、荷物を持ってきたついで玄関の靴を整理して行かれ、家内はいつも恐縮していました。ところで、宅配しながら客先の玄関の靴を並べられることに何か理由はあったのでしょうか?」

靴宅「特にこれはという訳はありません。ただ自然な動きとして、折角ですからね、・・・例えば、隣人の背広にゴミが付いていた時にサッと払って上げる程度の気持ちで靴を並べて直していただけのことです。」

司会「そうですか。私は、靴宅さんの行いは宅急便業の差別化や、新しいビジネスモデルの構築への発展、さらには大きく言えば正に世界人類の対して明るい希望をももたらす契機となるのではないかとさえ期待していていたのですが!」

靴宅「それは、どうも、どうも」

司会「でも、人によっては変に思われたり、気持ち悪がられたり、最後にはお節介は止めて欲しいというようなリアクションがあったのでしょうか?」

靴宅「そうですね、あったかもしれませんね。でも私自身は会社でも家でも、床に落ちていたゴミやクリップなんか気がつくと直ぐに拾っていましたから、大した話ではありません。」

司会「確かにそんな程度の話しなのかもしれませんが、その程度のことでも驚かれる時代ですからねえ。そう言えば海外進出した会社の工場長の話なんか聞くと、率先垂範ということで自分からゴミ拾いをやっていても、従業員はそれを真似してゴミを拾わない。何故かと言えば・・・」

狩猫さん「それは工場長の仕事だと思っていんたでしょう。」

司会「いやいや、狩猫さん。本日はどうも有り難うございます。流石に突然のお出ましですね。でも、この前、ネズミを咥えて道路を横切る時には堂々とされていましたね。」

狩猫「イヤー恥ずかしいなあ、見られていたとは。今日もつい獲物が見えたので遠回りをしてしまいました。」

靴宅「そうですか、獲物ですか。でも当たり前の話ですよね。猫さんがネズミを獲るのは。」

司会「そうなんですが、狩猫さんのその話を娘にしたら『ヘエー、猫って狩をするんだ』って驚いていましてね。」

狩猫「確かに、『狩』って言われるのも辛いものがありますね。でも、昔はネズミも多かったですから。」

靴宅「そうそう、それで農家の人なんか本当に困っていましたね。私の子供の頃なんか、ネズミの尻尾3本と鉛筆1本を学校で交換していたことを思い出しましたよ。それで何本かの鉛筆を得意にもらったのを覚えていますよ。」

狩猫「今じゃ、我々猫族は、犬にしたって、器量がよければペットフード一で散歩付き悠々自適の生活、飼主に『ゴロゴロ』、『ワンワ~ン』やっていたらそれで食って生ける黄金時代ですからね。CTスキャンで頭痛を診断してもらった仲間も居る位ですから、私らだって超驚きですよ。」

司会「でもその狩猫さんが、急にどうしました。『ゴロゴロ、ニャンニャン』が嫌になったんですか。」

狩猫「いやね、そうですね、やはりこのままでは堕落して、自分引いては猫族の将来は無いのではないかと思いましてね。」

司会「堕落とは厳しいですね。」

狩猫「いや本当ですよ。これは自分自身の問題でもありますが、実際には飼い主、つまり人間の最近の目を覆いたくなる自堕落にこちらも一緒に着いて行っては結局こちらも駄目になるという危機感かもしれません。」

司会「そうですか?随分と悲観的で、また自己に厳しいというか、でもそう思われるだけでもご立派ですね。」

狩猫「いえ、本当に心配しているんですよ。ペットボトルのポイ捨てのように、ついに堕ちる所まできた感じですよね。人間にしたって、猫にしたって堕ちるのは兎に角簡単でしょう。まるで重力があるように簡単に心は堕ちて行きます。折角の生を受けたことへの感謝、さらには生きていくことへの自覚、そしてそのことへの疑問と探究心、ましてや冒険心のようなものは。人は何れ死ぬと分っていながら等閑なって時を浪費しているのはどうしてなんでしょうか。ただ金を貯め安楽長寿を渇望する。サラリーマン的な事なかれ主義があり、また学歴や資格さえあればと言ったつまらない意識を傍から見ていますと情けなく思いますよね。もう、その時代は終焉しましたよ。一方このように人間を批判する以上、自分自身振り返って反省すると、やはり本来の姿、本能の力で生きるべきだと、そこで狩をすることを始めた訳ですよ。」

司会「確かにペットボトルもペットもポイ捨ての時代です。自分の心も簡単に捨てられるのかも知れませんが、でも厳しい生き方を選びましたね。大丈夫ですか?よく道端で・・・」

靴宅「私は轢いたことはありませんが、危ない時は何度もありました。でももし屍骸があれば、時々停車して道端に葬ってあげましたが。実に多いですね。恐らく人間の10,000倍以上でしょうかね。」

狩猫「どうも有難うございます。確かにアスファルトの上でペッチャンコの仲間を見るのは辛いです。どうか土の上ででもと、・・・それは儚い希望ですが。」

司会「人間の場合には路傍はないにしても、土も少なくなりましたね。土に戻る虫なんか見ると羨ましくなりますね。」

靴宅「そう言えば、『蝶残羽 寒風揺らす その尊さ(たかさ)』なんて句がありましたね。」

狩猫「空を自由に飛んだ蝶の羽が風に震わされる情景は、確かに心を打ちますね。人間だって、この半世紀前には土に戻っていたんですからね、本当に。そう言えば平安時代の小野小町なんか、多くの公家なんかを振った挙句には最後は貧相な土饅頭に葬られ、その後露わになった髑髏の眼穴からススキが抜け出し吹く風に『イタメ、イタメ』と泣いたという話なんか、現代人からみれば実際には羨ましい話じゃないかと思っているんですが如何ですか?」

司会「参りました、狩猫さんから言われると尚更人間には辛辣ですね。そのように考えれば、現代人には結局は生きるも死ぬも厳しい時代となっている言えるのかもしれません。狩猫さんが本能というか、それに従って狩りを始められたことを心より羨ましく思えてきました。さて、それでは話を靴宅さんに戻して、・・・その後靴宅さんは何故仕事を変わられたのですか?やはり無理があったのでしょうかね?」

靴宅「やはり社内では私は変わり者だったのでしょう。でも、このような些細なことが、変に思われることはオカシイですよね。一方で、子供を叱ること、未成年の喫煙を注意すること、社員の挨拶などの躾を直すことなどを放置しておいて。」

狩猫「昔の子供は叱られたり、喧嘩をして良く泣いていたものですよ、あちらこちらで。」

司会「確かに、洟を垂らしてね。鼻電車ってね。今じゃ、そんな子も見やしない。あのころは。夢がありましたね。懐かしいなあ。」

靴宅「これは、少子化が原因ではないと思いますよ。・・・で、今度は長距離配送に変わり、個人宅に行くこともなくなりました。ファンもいたのですがね、残念ですが、それはそれで、一人トラックを運転し良かったこともあります。孤独ですが自分を見つめる時間が持てました。」

司会「そうですか?運転席でカラオケですか。」

靴宅「ま、下手でも聞く人は居ませんからね。」

司会「今迄の人付き合いが減って、ではどのような時が楽しかったですか。」

靴宅「楽しいということではないですが、充実した少間というのはありましたね。それは明け方の、夜も白じんだ一瞬に現れるのです。」

司会「伺いましょう。」

靴宅「これが現れるのは全天に薄く雲が立ち込めたほんの短い時間なんですが、この世の全てが明るく均等に浮かび上がる時が存るのです。雲が無かったり、切れ間があったり、立ち込み過ぎても駄目なんです。」

司会「良く分りませんが。どういうことです?」

靴宅「実は均一な雲が全天を覆い旭日が差し込むと、一切陰のない風景を見ることができるのです。多分それは、陽の光が雲の上に行渡りその雲を透かして世の実相を浮かび上がらせるのです。そのため光は強くなく、弱い光が全てを照らすのです。これに出会った時は本当に生きている、生かされている冥利が判るのです。」

司会「やっぱり、分りませんが?」

狩猫「私には解りますよ。つまり強い陽差しが濃い蔭を生んで結局見えない部分が増えるように、一方で弱い光が全てを浮かび上がらせるということはね。それは丁度、手術室の無影光ランプまたはエアレックスのラミナーフローのAXスクリーンを透かした時の光のようなものでしょう。」

(司会「ここで、宣伝は不味いかと。」)

(狩猫「畏まりました。」)

靴宅「はい、その通りです。見えるものが全て正しい訳でないのと同様に、真実とは陰陽を含んだものであるのと一緒です。流石、仮猫さんですね。」

司会「なるほど、判ったような、解らないような?・・・それは若しかすると、島崎T村が『人は病になって初めて人の陰影が分る』と言ったのと同じですか?」

靴宅「正にその通りです。私は、虚弱な光こそが真実を照らすということを理ることができた幸せは者だと本当に思っています。」

司会「なる臍、ところで今も運転手を為さって居られるのですか。」

靴宅「実は、今は天文台でレンズ磨きをやっています。」

司会「ヘエ~、それはまた随分と転身されましたね?どうしてですか?」

靴宅「いえね、結局どうも私はこの世の本質を見るのはより暗い場所が全てを明らかにするのではないかと思いついたのです。私は生まれてからこの方、何としても自分は一体何処から来て、何処に行くのか、一体自分とは何なのかを知りたいと想って居りました。ならば宇宙の蔭により照らされる真理を学びたいと思ったのです。」

司会「難しそうですね、大丈夫ですか?」

狩猫「私には、解りますね。」

司会「是非、教えてください。」

狩猫「信州のZK寺にお堂巡りってご存じないですか?」

司会「ああ、本堂の裏手の暗闇、本当に真っ暗闇を巡り、鍵を触れてご利益を得る行いですよね。」

狩猫「ええ、その通りです。私もあの暗闇は本当に凄いと思いました。つまり自分が宇宙空間に放り出されたような感覚になります。つまりそこにあるのは、自らの肉体は見当たらず一切意識のみという宇宙を感じますよね。」

靴宅「はい、その通りです。つまり研ぎ澄ませば人間には意識しかない訳です。そのように宇宙空間に自らを放置した瞬間に全てのつまらないものが剥ぎ落とされて、真実のみが明らかになるのですが、これを知る事ほど生きていく上で重要なことはないかと思っていいます。つまり暗ければ暗いほど真実の光は明らかになってきます。」

司会「髭のある狩猫さんが、お堂巡りをしながら宇宙を感じられていたとは驚きですが、早~や~い~は~な~し~が、靴宅さんの真実の光とは、仏教でいうところの寂光というものかもしれませんね。」

 

靴宅「一向に早い話ではありませんが、そう思います。スーパーカミオカンデのクオークの観察も突き詰めれば同じかもしれません。」

司会「レンズを磨きながら宇宙を身近にされ自分との関わりにおいて会得されたことは、何かありますか?」

靴宅「凡そ150億年前以降の宇宙開闢の光と風に包まれていて、私たち自身が宇宙でできたものであるということと、また、宇宙に戻るということですね。」

司会「大変、壮大な内容ですね。もう少し、身近な時代ではどうでしょう。」

靴宅「はい、発生生物学者に依れば、私たち人類は母親の胎内で120日あまりを過ごす間で、古代軟骨魚類を思わせるエラが現われ、次に両生類の顔となり、以降原始爬虫類、そして肺呼吸ができると原始哺乳類そして人の顔つきとなるとのことです。」

狩猫「つまり、地球上で4億年かけてやってきた進化をこの4ヶ月の間で経験していることになるのですよね。」

靴宅「はい、その通りです。狩猫さんも同じでしょう。私はこのようにレンズを磨きながら、自分の外の宇宙が、自分の内側にもあることを知ったことを深く感謝しています。」

司会「凄い話ですね。これからはどうされますか?」

靴宅「中国の故事に由来し、万葉集でも詠まれている『無何有の郷に甘瞑する』気持ちですね。つまり、拘りから解き放れ宇宙の無限、有限の中でこれからを考え、再び、今の特に若者の心の靴を並べるお手伝いができればどんなに素晴らしいことかと思い始めています」

司会「分かりました。かなり発散して心配したのですが。実は私も、このような時代で多少頑張っていることがあります。それは、朝の通勤で、中学生とすれ違うのですが、見ず知らずの彼女の方から『おはようございます』と声を掛けてきます。勿論、こちらも答えるのですが、最近ではこちらから先に声を出すようにしています。結構、恥ずかしいのですがね・・・・」

狩猫「私は、あるニートが朝晩、お地蔵さんに手を合わすのを知っています。人類にはこの辺りにヒントがありそうですね。」

司会「結局、このような世にしたのも私たち自身ですからね。」

狩猫「そう言えば、『ひとりでに 子は起き 橇は起こさるる (中村汀女)』がありましたが、子供でさえ自分で倒した橇を起こすのですから、それが人間の本能とすれば、何れあなたたち自身でこの状態を立て直すしかないのでしょう。」

靴宅「橇が主役なんですよね。私たち人間は自分が主役だと思いがちですが、俳人の眼はそのあたり流石に鋭いですね。」

司会「それで、狩猫さんの『狩』の本能も判ってきたように思います。でもネズミさんも気の毒ですが、動物実験に使われるよりは幸せでしょう。」

靴宅「ネズミさんを悪者にはしていますが、このいたずらが『きよしこの夜』を世間に出すことができたのですよね。」

狩猫「はい、猫鼠の世界では有名な話です。1818年、オーストリア、ザルツブルク近郊のオーベンドルフ村の聖ニコラス教会のパイプオルガンの革の鞴をネズミが食い破ったためにクリスマスの演奏ができず、急きょ26歳の司祭代理のヨゼフ・モールの詩にピアノ奏者のフランツ・グルーバーが曲をつけたものです。(*)

♪Stille Nacht! Heilinge Nacht!

Alles ・・・・・


♪静かな今宵、浄らかな今宵、

ものみな眠り、目覚めるのはただ、敬虔な聖なる夫婦、

愛らしい捲毛の髪の御子は、天のやすらぎの中で眠っています


♪静かな今宵、浄らかな今宵、

神の御子のやさしい微笑み、尊い神のお言葉通り、

救いの時は、われらを訪れ イエスは今ぞ世に生まれ出た


♪静かな今宵、浄らかな今宵、

羊飼いらが 天使の声に まず喜びの知らせを受けた

遠く近くに ひびくハレルヤ

“救いの御子は来たまえり



このネズミの悪さがなかったら、この歌はこの世にはでなかっでしょう。ですから、この子孫は今でも有名なんです。多分、クリスマスではこの村のネズミは大手を振ってケーキやチーズを食べてても良いはずですよ。本当に!」

司会「さて、いよいよクリスマスらしい話で時間が参りました。まだ名残がつきませんが、このように外なる宇宙、内なる宇宙から現代を考えてきますと、私たちが何をすべきか朧げながら浮かび上げってきました。人間といものは、つい自分を中心と思い、自分が最も偉いと思いたくなるものです。それが国になっても、または人類という括りであっても然り。しかしながら実際には橇、つまり私たちを包んでいる宇宙=真実が主役であるのですね。私たちは、自分自身の身体であっても見えない、つまり知らない部分が殆どでしょう。例えば自分の背中でさえ一生涯直接見ることはできないのです。人に見てもらうしかないのです。自分の心であってもそうでしょうし、ましてや他人の心となれば。それが人間以外の生物であれば何を況やです。ここで大事なことは、私たちは知らないことがあまりも多いことを知ることでしょう。知ったかぶりをしないことでしょう。その前提で生まれてきたことに深く感謝して、お互いに助け合い、知恵と汗を出してこの宇宙の中で素晴らしい地球を守り、創ることかと思います。」


皆さん

    拍手 パチパチ


司会「有難うございます。それでは、狩猫さん、またお会いしましょう。その時には冒険の話を聞かせてください。」

狩猫「分りました。自分を見つける旅になるかと思います。去らばだニャ~ン!」

♪青年は、青年は荒野を目指す♪


司会「さて靴宅さん、ご苦労様でした。これからも宇宙の真実をお伝えください。少しゆっくりなされてはどうですか?少しそわそわされていますが。」

靴宅「はい、実はこれから世界中の子供たちのクリスマスプレゼントを入れるための靴を揃えなければなりませんので。」



本年皆様、大変お世話になりました。

メリークリスマス

良いお年をお迎え下さい。



(*)宇宙はささやく 佐治晴夫 PHP文庫 素晴らしい本です。是非読んでください。

2005年12月23日

市民公園にて

ベートーベン像です

    

仲いいでしょ    像の下に納まっています。見えますか?可愛いでしょ。

2005/9/26

旧春鼎談2005

司会「明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。さて、昨年行いました特別企画、新春鼎談Tが好評でしたので、今年もまたお二方にお集まり頂きました。昨年は特に日本人の現状と将来の課題についてお話を伺いましたが、今年は荒神谷発見20周年という記念すべき年でありますので、この遺跡の示すものから日本人の精神風土の起源を探り、そこから現代の私達が何を学ぶべきかを考えてみたいと思います。


さて出雲の荒神谷遺跡とは、1984年8月に、農道工事の最中に偶然に見つかり、その後実に銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本という大量の埋蔵物が掘り出され日本古代史を震撼させる実に驚くべき大発見であります。これは、高校生には受験勉強での必須アイテムかと思いますが。

 しかしながら、誰が、何のためこの鄙びた里山の土中に埋納したのか、様々な研究と推理がなされておりますが、今もって確信できる説明は得られずに、大いなる謎のままとなっており、むしろ謎は深まった感さえあります。

まず、今年も干支に因んだ客人ということで鶏のコッキーオさんにお越しいただきました。

 コッキーオさん、昨年はマントヒヒのヒッピーさんにお越しいただき類人猿の視点から、さらにまた檻の中に居る立場から、むしろ檻に入っているのは人間ではないかという衝撃的なお話をお伺いしました。コッキーオさんも同じお立場かと思いますが、その辺りからお話をして頂ければと思います。」

コッキーオヒッピーさんのドストエフスキーの『神の存在』と実存主義、そして現代日本人の神と自由への意識との関係への論理展開には、確かに感銘を得るところがありました。ただ私達との違いは、鶏類は太古より卵や肉を食されるものの人間に非常に身近な存在で、食事も与えられ、イタチや猫などの外敵からも守られ多少に共存共栄といった立場であることも確かですので、特に檻に囚われたというような束縛感はありませんでした。本来、鶏類はかなり楽天的な生物ですからね、むしろ人類は我々にとっては存続を維持する神であると思っても良い位です。



司会「意外ですね。人類は神であると仰られるとは予想もしませんでした。では、そのようなお立場から、荒神谷の銅剣、銅鐸、銅矛の発見、つまり一体誰が何のためにあのように大量の、いって見れば宝物を埋納したのか、どのようにお考えでしょうか?」

コッキーオ「いきなり本題ですね。分かりました。さて、私達にとっては、縄張り程度の境界はあっても、人類のような束縛された国境なんてものは感じることもありません。その意味では古代人でも同様であったように思います。さらに、鶏にとって鶏類の仲間が神であるなんてことも絶対にないように思います。これと同様に、原初の人類にとっても同じ仲間が神であったことはなかったと確信しています。」

司会「そうですか!? 私なんか、神武天皇の弓の先に止まった金鳶か、多分それが不死鳥でしょうか、それがあなた方の神かとでも仰るのかとでも思っていましたが。」

コッキーオ「鶏だって神と崇めるものは絶対的な支配者ですから、それは(あいにくと)人間と言わざるを得ません。尤もゲンキンなもので、先ず神とは単なる精神的畏敬の対象や支柱という悠長なものではなく、食うためのヨイショであることも否めませんがね。」

司会「確かに古代シャーマニズムの世界において、人の支配できないもの=神(自然)として、さらにその神と人とを仲立ちする者が現れることは容易に理解できますね。」

コッキーオ「その通りです。人間は自然の前では無力ですからね。荒神谷人にとっての自然、つまり神ですが、その神との交信に剣や鉾、鐸などを使おうとしたことは正に自然でしょう。多分そのことは、この時代では最新の思想、または先端技術であったことも確かでしょう。現代人にはこうした行為を笑う人もいるかも知れませんが、私には馬鹿にすることなどできません。古代人と言ってもそれは、あなた方人間の自らの祖先ですからね。この辺りをしっかりと捉えて考える必要がありますね。」

司会「確かに、現代人と比べ古代人、今回の場合には荒神谷人の能力を劣ると考えることは間違いでしょう。多分、創造力、技術力、リーダーシップも、それに所謂生活力は相当に優れていたと思います。すこし、コッキーオさんのご意見の方向が見えてきましたので、もう一方にも話に加わってもらいご意見を伺いたいと思います。アイスマンのチロリーさんです。1年振りですが、如何ですか最近は?」

チロリー「5000年間、氷の中で寝ていての1年ですからね。アット言う間です。寝ているその間に今から1600年程前の荒神谷の人が何をやっていたかを推理することは、現代の人間が推理するのとは大きな違いがあるかも知れません。」

司会「そうです。正にこれが、今回の鼎談に集まっていただいた方の重要な点です。つまり、チロリーさんにとっては未来人を想像することになり、一方コッキーオさんにとっては、人間の行いを別の生き物の立場から冷静にも見ることができますので、時空と次元を超えたアプローチから、この謎を推理し、現代に活かすことの意味と重要性を感じますね。」

チロリー「有難うございます。長い間、寝ていた甲斐があったというものです。気分転換でアルプス山中に出かけて、頂上を目指したとは言うものの、注意1秒、氷漬け5000年ですからね。」

コッキーオ「私は、チロリーさんが気分転換とは言われましたが、山の頂を越えて何かあるのでないのかという強い好奇心であのような高山まで登られたのでないのかと推理しています。例えばファーブルさんの、その昆虫記の一節に『好奇心が目覚めて、おぼろげな無意識の状態から我々を連れ出す楽しい時代よ。・・・・太陽が昇って、光り輝きながら空を昇った。どこから太陽は昇るのだろう。一つあそこに登ってみよう。そしたら、きっと分かるに違いない』という文節があります。つまり、チロリーさんもファーブルさんのような、やはりこうした素直な好奇心があって山を目指されたのではないか。また、このような興味心が人類を維持できた力の一つではないかと思っていますが、どうでしょう。」

チロリー「そうですね。何せ5000年前ですから、少しボケが始まっていますから。でも素晴らしい一節ですね。現代人は知識がありそうだけど知恵がない。結局は先代が苦労して積み重ねたものを、ただ記憶として詰め込んでいるだけで実際は利用の仕方も分からないただの知ったかぶりっ子ですからね。特に近代日本では、学歴さえあれば偉いという風潮がありますが、これなど人類史ではピコ秒以下の最近のお笑い話ですからねえ。ところで、コッキーオさん、鶏類は太古より近世まで、人間に食べられる存在というより多分、または、そうで在るが故に神の使いとして崇められていたのではありませんか?最近では例えば1000年程前の仏教では鶏足寺という、それはある山頂で見つけた鶏の足跡から神仏を感じ開山された寺もある程です。ですから私もコッキーオさんが我々を神と仰るとは予想もできませんでしたが。」

司会「話が荒神谷から相当に発散してきたようですが、皆さん大丈夫ですか?」

チロリー「私も心配です。さて、古代から近年まで多くの人間が太陽の昇る先に強い興味を感じていたことは確かです。しかし、現代人の殆どは今では太陽の昇る方向について興味を持っていなように思います。でも、こうなったのは、ついつい最近のことなのですからね!」

司会「そうですねエ。本当に、現代人は太陽の昇る方向に興味を失うほどにこの現象を正しく理解しているか疑問がありますね。『朝は何処から来るのでしょう』という歌がある位ですからね。」

チロリー「そこで私はこの荒神谷の謎には陽月の運行が絡んでいると睨んでいます。・・・・現代はGPS技術などで地理の把握は容易で驚いていますが、実は、出雲、荒神谷と富士山はほとんど同じ緯度にあり、驚いたことにこれらを結ぶ直線上には伊吹山、伯耆大山などが見事に並ぶのです。これらの山々は神話時代に神の山とされたものです。伊吹山なんかヤマトタケルノ命が猪退治をした山で、その頂には大きな像がありますよね。私はこの事実は荒神谷の謎を解く重要なポイントと考えています。きっと現代人には、知識も地図もない時代に、誰がそのようなことが可能かと疑問を持つかもしれません。でも、我々古代人は現代人より知恵も興味も自然への理解も優れています。もし控えめに言うなら少なくとも精神面ではね。でも、これが重要なのです。もし現代人が進歩をしたと言うのなら、それはむしろ過去に遡ったに過ぎないはずだと私はこの1年で確信を持ちました。」

司会「そうですか?!でも、荒神谷から、富士山が見えるのでしょうか?コッキーオさんはどう思われますか?」

コッキーオ「私は、チロリーさんのお話の通りだと思います。例えば、熱田神宮で死んだタケルノ命が白鳥となって北上し、羽を休めたのが郡上の白鳥ですがこの場所は、ほぼ同じ経度にあります。これも驚きですが、この100KM程度の飛行は鳥にとって2~3日で可能です。鳥インフルエンザの広がりを検証すれば、もう少し早いかもしません。尤も、古代人にとっても太陽や月、星の位置から自分の場所を探すことは可能だったと思います。これらは代々伝える生活に染み込んだ知恵として。」

チロリー「現代では星はあまり見えないでしょう。私が現代に目覚めて一番驚いたのは、夜が暗いことです。昔は、美しかった!!!オーロラのように満天の星。星座を見て物語りを吟じ・・・夜は家族との語らいの場で物語を伝えることが長老には非常に重要な楽しみでした。人類には最も充実した団欒の時代だったと言えますね。今ではそんな話などできないですよね。・・相手がTVや癒し犬ロボットの時代ですからねえ。」

司会「何だか今が情けなくなってきました。確かに車もPCもない時代の方が生き物の社会としては本質的に正しいのかもしれませんね。人間だって、ただの生物ですからね。とは言うものの、人間としてはこれも本来、想像力、何と言っても自然と湧き出る好奇心、これは生きていく上で重要なサプリメントみたいなものですから、これを失えばただ息をしているだけと言えますからね。そう言えば私の母系は江戸時代には飛脚でして、北東近江から京の都まで、往復200kmを二日で走っていたと聞いています。古代人にとっても、100kmや200kmは国境もなければ問題ない掌握可能圏でしょうね。出雲~富士山は1000km位ですか。」

チロリー「それを少し切りますね。」

コッキーオ「私は、山の頂に登れば距離はそれほど問題なく、後は星座と光通信で大丈夫ですね。今回、あいにくと銅鏡が出ませんでしたが、それはこのためのツールであったと考えています。」

司会「『ロード・オブ・ザリング』では烽火を使っていましたね。」

チロリー「私の時代ではよくやりましたよ。子供の頃にいたずらをして叱られたのを思い出しました。懐かしいなあ。」

司会「そろそろ、本筋に戻りましょう。チロリーさんの5000年前にまで遡ると、戻れなくなりそうです。・・・コッキーオさん、荒神谷人はどうなりました。」

コッキーオ「そうですね、先ほど私は荒神谷遺跡と陽月の運行との関係について言及し始めたのですがチロリーさんのお話をお聞きしながら、益々確信しました。荒神谷人はその傾斜地に小屋を建てで、太陽の運行、月の満ち欠けを銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本を使って調べていたのでないか。つまり、古代の天文台ですが、そこで暦を作ろうとしていたのでないかと考えています。」

司会「でも、暦が登場する日本最古の史書の『日本書紀』では、6世紀中頃の欽明天皇の時代に中国の暦法が百済を通じて伝えられたと書かれていますが。」

コッキーオ「ですからそれ以前に、我々祖先が自らの力で暦を作る、少なくとも知りたいという気持ち、つまり科学的探究心が強くあったはずです。特に、農耕との関係で、暦ほど重要なことはありません。」

司会「それは分かります。エジプト文明でも、暦学が国の中心であったことからも。・・・確かに、日本では古代の暦法が輸入であると言われていたことには疑問がありましたね。」

コッキーオ「文字のない口述文明が、文字文明の衝撃に打ち負ける時が来るまでの暦について、モノを置いて数えるなどの方法は仕方ありません。つまり、銅剣358本は1年の日数を表しています。

司会「やはり、そう来ましたか。確か四季の運行説を唱えているのは韓国の金先生が居られますよね。」

コッキーオ「同じような意見を述べる学者が金先生以外に少ない訳は、あまりに銅剣や銅鐸などの分析科学的解析手法に偏っているためでしょう。ところで、この銅剣358本は4束に纏められていますが、その数は27~31の組み合わせの倍数になり、4季、結局12月を表すことになります。」

チロリー「その公約数のバラツキは月の満ち欠けと、太陽の運行との関係での整合化の苦心の跡と言えますね。私の時代でも、この辺りがややこしくて苦労しました。」

司会「なるほど、つまり太陰暦と太陽暦の絡みの問題ですか。」

コッキーオ「はい、その通りです。今でこそ現代では太陽暦、つまりグレゴリオ歴を使っていますが、日本では894年の遣唐使廃止後では中国の新暦が入らなくなり、862年の宣明歴が江戸時代まで少しは手直しされて使われてきたのですからね。旧暦と新暦どちらが正しいか、良いのかは別として、如何に日本人が保守的というか、知ったかぶり民族というか、それを理解するいい例となるのかもしれません。」

司会「でも、銅鐸6個、銅矛16本、銅剣柄のx印の意味は何でしょう?」

コッキーオ「銅剣茎のx印は、農耕での何らかの行事、例えば田植えとか、刈入れとこを行った日ではないでしょうか。つまり、米つくりには88の工程がありますからね。それに銅鐸、銅矛は自然の季節感の纏まり、つまり四季のようなものを示していると考えています。」

チロリー「そう言えば旧暦では、太陰暦が太陽の運行とは無関係ですので春夏秋冬のズレが生じて農耕には大変不便です。そのため、古代中国では冬至を起点として二十四節気と七十二候で表しましたよね。」

コッキーオ「流石、チロリーさんよく勉強されていますね。5000年の眠りは只者ではないですね。」

チロリー「いやいや、有難うございます。そう言えば、『眠る部長』っていうのがありましたね。部下が『寝ていて駄目じゃないですか』って言ったら『寝ながら考えているんだ』って答えた話。あれと同じですよ。エッヘン?」

司会「ヤレヤレ、ところで、確かに二十四節気と七十二候は面白いですよね。是非、現代人には学んで欲しいですね。自然や情緒教育にとっても。3/5啓蟄(蟄虫啓戸)、3/10(桃始笑)、3/15(菜虫化蝶)、3/20(燕始巣)、3/26(桜始開)、3/31(雷乃発声)など楽しいですよね。このようなお話になるとは思いませんでしたが。結局、チロリーさんもコッキーオさんのご意見と同じと考えてよろしいですか?」

チロリー「はい。私は5000年前の人間ですから、荒神谷人がなお、自然に畏敬と興味を持って過ごしていたことを確信でき嬉しくも思いました。一方、現代人の心象風景が技術進歩に比べてあまりに見劣りする、退化してしまったことを情けなくも思っています。」

司会「もし、今と5000年前とどちらで生きたいかと問われればどう答えられますか?」

チロリー「勿論、5000年前です。一頃は、未来や将来に生活したいと思ったものですが、現代のこの有様を見たら、とてもとても人の生きる世界ではありません。」

コッキーオ「わたしも、現代人より鳥として生きたいと思いますね。大切なことですが、やはり現代人類の問題の起点は、同じホモサピエンスを起源神としてそれを拠り所とした社会、世界体制を作ろうとしたことでしょう。つまり、自然や宇宙といった絶対的なものを人間が取って代わって繕おうとしたことですが。神話によればチロリーさんは神武天皇よりも前で、イザナギ、イザナミノ尊の時代となって、チロリーさんが神となりますからね。」

チロリー「恐れ多いことで、私には尊は結構です。それにしても、近代人類について私も驚いたのですが、例えば正岡子規の晩年の病床で悟り、つまり『余は今まで禅宗の所謂悟りいうことを誤解していた。悟りということは、如何なる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違ひで、悟りと言うことは如何なる場合でも平気で生きることであった。』ですが、子規でさえ、こんな状態です。正に病んだ時代ですねえ。私の時代では生きることは当然というか、どんな場面でも生きてきましたからねえ。ただ、足を滑らせたのはいけなかった。人生、反省、反省です。」

コッキーオ「確かに、人類は病んでいますね。鳥インフルエンザの場合には我々数十万羽が殺されたのですから。昔でも様々なウイルスに蝕まれてきましたが、集団で大掛かりな飼育はありませんでしたからこのような悲しい出来事はありませんでしたからね。」

司会「分かります。分かります。ではそろそろ、まとめたいと思いますが、実は私はこの銅剣、銅矛、銅鐸の共同埋納について、どちらかがMDミサイル防衛構想の破綻のように、戦いでは世の中が収まらないことから戦の道具を破棄し、平和の祈りを捧げた場所ではないかという説を唱えられるのでないかと密かに期待していたのですが、どうも天文台説ということになりそうです。また、この荒神谷人の精神的背景には自然を敬いつつ、真実を知りたいという素直な科学的欲求があったのであろうとのお話を伺いました。さらに、このような、素直な好奇心、または向上心を現代の多くの人が失いつつあるとのお話を伺いました。では、現代の日本人を救う方法はあるのでしょうか?」

コッキーオ「大変難しいですねえ。もう手遅れという感もあります。現代日本を駄目にした元凶はTAP つまりTV、AM(自動車)、PCだと思っています。既にこれらの社会的貢献や技術成果は功罪の分岐点を過ぎたものです。例えば、資源、エネルギーの問題にしてもAMは勿論。PCでも1台を生産するのに1トン以上の鉱物資源が必要なのですからねえ。もう、十二分に行き渡っていて、これ以上の生産は地球の破滅を早めるだけですから。」

司会「困りましたね。チロリーさんはどうお思いですか。」

チロリー「私も、コッキーオさんのご意見と同じですね。ただし・・・何とかなるかもしれない。」

司会「是非、お聞かせ下さい。」

チロリー「答えは『松ケンサンバ』にあると思っています。」

司会「?」

チロリー「あの『松ケンサンバ』から日本人の精神構造を窺うことができそうです。つまり、日本人は基本的に国境や人種の問題から開放された幸せな民族です。日本人が過去を容易に忘れられるのは一つに拘る宗教心や哲学を持たなくて済んだからですが、そのためのご都合主義が何でも無節操に受け入れてしまう心配はあるものの、比較的困難な状況でも前向きな対処もできそうです。」

司会「そうでしょうか?やはり、結局浪費などが促進し、モラルが低下して問題点を先延ばしにすることはありませんか?」

チロリー「確かにご指摘の一面はありそうですが、しかし『松ケンサンバ』からは実際にはしたたかな所も感じられます。つまり、したたかとは、しなやかさしぶとさしっかりなどを組み合わせたものですが、この辺りに答えはにあると思っています。つまり、日本人は本質的には大らかで、また付和雷同的な面はあるが、まとまり易い所もあります。一方、いざとなれば幅広い柔軟な対応もできる民族でもあるのです。」

司会「なるほど。分かったような?無理があるようなお話ですがこれ以上は収拾がつきませんし、あいにくと時間も参りました。どうもお二方ともに本日はありがとうございました。時空、次元を超えて荒神谷の遺跡の謎を皆さんと考えてきました。多くの学者が見向きもしなかった説について、多面的に興味深い考察がなされたことに感銘致しております。確かに現代人の問題は、便利になるに従い、または知識が増えるに従い退化していることに気付かない点ですが、本日の議論を通して多くの示唆的なものを感じることができました。我々は未来から学ぶことはできません。過去から未来を学ぶしかないのです。今、我々は歴史、つまり我々の祖先が何を苦しみ、楽しみ、また未来に託したのかを真剣に学ぶことが必要そうです。」


《拍手》


チロリー「今度は新疆、楼蘭4000年前の美少女のご案内をお願いします。」

司会「了解しました。来年も楽しくなりそうでね。」

皆さん「ヤレヤレ」

2005年3月7日

追加情報

北京時事2005年3月12日中日新聞

新華社電:中国青海省黄南チベット族自治州拉毛遺跡から、穴と窪みが規則正しく並んだ石刀が発見された。その配列は北斗七星、牽牛星などの星座模様であった。石刀は5000年以上前の新石器時代(チロリーさんの時代)のものとみられ、中国最古の天文観測を約1000年遡る証拠となる可能性があるとのことである。中国最古の天文観測としては、古代歴史文書「書経」に紀元前2137年の日食に関する記載がある。また、夏、殷、周3代(紀元前21世紀から同256年)にも天文、天体の運行に基づく暦法の記載がある。


更なる追加情報

最新の科学分析から、チロリーさんの身体から鏃が見つかり、何者かに射殺されたのではないかと推理されている。また、アイスマンのチロリーさんには欧州ではエッツィという愛称が付けられている。

自分の証明

R「参ったよ、この前、4重衝突の事故に逢ってね。後部座席に座っていたんだけど、衝撃で後を見たら、窓ガラスが全部割れて、そこから追突したトラックの運転手の顔が見えてね。一瞬、ああ、これでお仕舞いかと思ったよ。」

S「で、大丈夫だったのかい、お前の車の他の人も。」

R「お陰様で、運良くね。でも、車は前後ろ大破してしまったよ。人間って、本当に一寸先には、何があるか分からないよなあ。」

S「確かにね。自動車なんか、もう30年まえにその必要の功罪の分岐点を過ぎたというのに、事故への対策は放置のままだからなあ。数で言えば、戦争と同罪なんだろな。」

R「そう言うなよ。ここは、NGYだぜ。いやね、その事故から色々考えることがあってね。つまり、人間って、自分って何だろうってことをね。」

S「やれやれ、また始まったか。『人間って文明社会を営むことのできる、高等生物さ』なーんて言ったら、『文明って何だい』って言うんだろ、どうせ。」

R「まあまあ、先読みするなよ。この前、夜、座ってTVを見ていた時にね、机の上を1,2mmの小さな虫が這っていてね、そんな虫でも普段はまず殺さずに外に出すんだけど、その時にはつい、潰して殺してしまったんだ。

S「別に構わないじゃないか。その程度、少しは気が引けるかもしれないけどね。」

R「潰した後で、自分が車の事故に逢ったことを思い出してね、結局、俺は死ななかったけど、死については俺にしたって虫にしたって同じことじゃないか、何処がちがうんだろうってね。」

S「オイオイ、大丈夫かい。後遺症でもあるんじゃないかい。」

R「そうかも知れないな。でもね、人間だから偉いってもんでもないだろうってね。俺らは、随分と多くの殺生で生きている。丸で、宇宙で一番偉いみたいね。・・・・今度の森村誠一の本を読んだかい?『人間の天敵』って本でね。」

S「ま、人間にとって天敵は人間だろうね。」

R「そう、小説でもそうなんだけど、人間にとって結局は自分自身が最も天敵だろうってね。」

S「だろうな。その辺りは俺だって分かるよ。」

R「例えば、人間が他の動物と基本的に違う点に、人は他人を悪者にして自分を成り立たそうとする所がある。これなんか多分特徴的な人の悪い所だね。そうさせるのは、自分自身の偏狭な心なんだろうけど、」

S「ま、器の問題だね。でも、その問題を大きくしたのが戦争かなあ。人間には、歴史を学ぶことはできるんだけど、それが生かせず一向に成長できないのが悲しいねえ。やはり、これは人の世の限界、これが人の世なんだろうか?」

T「やれやれ、始まったね。二人の話で思い出したんだけど、この前、家内が『子供の頃、これから世の中は幸せになっていくものだと思っていたけれど、どうもそうはならないのだねえ。』って言ったのをね。」

S「そうだよなあ。ひどい世の中になってきたように思える。」

R「そうそう、俺もカアチャンで思い出したんだけど、この前二人でドライブにS州に行ったんだけど、ある山麓の川中に流石が見事にいくつもゴロゴロしていてね。」

S「そりゃそうだろう、石なんか、いくらでもある。」

R「そうなんだ、じゃ、その石と自分と一体何が違うのかってね。」

S「おいおい、違うに決まっているじゃないか。やはり、お前オカシイよ。前から、気にはしていたけれど、今日は特にね。」

R「つまりね、俺らこの世で汲々として生きてるけど、でも、生きてるって言ってもそれはそのことを自分で思うからで、他人から見れば、そりゃ目の前に居りゃマサカ隣の人が生きているか、死んでいるかは“外観”として見分けをつけているだけで、それだけのことだ。つまり、意識しなけりゃ、周りの人間だって石と一緒で、逆に言えば自分も石と一緒かもしれない。もっと突き詰めれば、意識するって言っても、これは夢なのかもしれない。ただ、それだけのことなんだ。」

S「分からんなあ。そうは言っても、相手と喋れば、石じゃないだろ。勿論、今の時代、利害関係でも発生しなけりゃ、お隣さんと話すことも少ないよな。」

R「じゃ、こうしよう、石を止めて、自分以外は河童だとしよう。河童って、人間のやはり心の奥の何か不安なものの表れだったんだろうな。その不安定な心持を、結局は河童に置き換えてみて説明したのだと思う。誰もその存在を証明したことのないね。で、その河童だとしたらどうなる。」

S「そうだなあ、周りの皆が想像の、多分自分勝手にこうだろうと決めつけ存在た?ということだけになるね。でも、そうなると、相手から見ても、自分自身も河童ってことか。」

R「そうなんだ。結局、そうなると、自分自身までその存在の証明ができなくなってしまう。一体、これってどういことなのかってね。特に、生死をもって明確な時間のステップの中で存在している生き物にとって、石や河童と正確に区別をつけることって、結構難しい。結局、できないのかもしれない。これは、真実でないかなって思ってきたんだ。」

T「それって、カントの『純粋理性批判』『物自体は認識できない』に通じそうだな。」

R『人間は何を知りえるか』ってやつだね。」

S「お前、結構勉強家だったんだなあ。俺にはサッパリだよ。」

T「つまり、『人間の意識の自由』には、『物自体は認識できない』という制限が自然の法則に存在するという前提が必要だってことだよな。例えば、林檎を考えると色やにおいなどの多様な事象で成立したものなんだけど、結局それはあくまでそうした現象要素の構成であって、林檎そのものは認識できないだよな。」

S「俺は、降りるよ、この話。」

T「大丈夫、大丈夫。大した話じゃないんだけどね。でも、ある意味では真実なんだろうなあ。」

R「お前とは、気が合うね。俺ね、人間の証明じゃなくて、『自分の証明』ってことをね命題として考え始めたんだ。これね、結構難しい。それには、やはり石や、河童のことを考えないと証明できそうでなくってね。」

S「いよいよもって、この話、支離滅裂に思ってきたけど、大丈夫?」

T「問題ないよ、少し難しくしているだけさ。カントは他に、『実践理性批判』、『判断力批判』、つまりね、『人間は何をなすべきか?』、『人間は何を望み得るか?』ってことも考えていて、相当な理想家なんだぜ。カントは『真の永久平和は、決して空疎な理念ではなくて、人間に課せられた課題だ』って言っていることなんか意外だろ。さっきみたいに戦争が人の世の常なんて諦める逃げ口上を彼は許していないんだ。」

R「冷徹そうな哲学者が、理想主義者だって驚きだね。厳しいけど、学ぶべきこと大だね。科学が発展しても、こうした哲学がしっかりしないと意味が無い。『純粋理性批判』か。科学≠理性じゃなからね。」

S「やれやれ、くたびれたなあ。おい、もう帰ろうぜ。」

S「おい、見ろよ。きれいな月だぜ。」

T「お前も、月を見る心があったか。徒然草第32段、客人を見送った家人がふと足をとどめて月を仰いでいるのを感心するところがあったなあ。結局は、人は心か。心は何とでもなる自由があるだけに、良くも悪くも染まる。だから、人の世は素晴らしくも、悲しくもある。いいね、俺も『自分の証明』ってどういものなのか考えてみたくなってきた。」


蟻のごとく集まりて、東西に急ぎ、南北に走る。高きあり、賤しきあり。老いたりあり、若きあり。行くところあり、帰る家あり。夕に寝ねて、朝に起く。いとなむ所何事ぞや。

生をむさぼり、利を求めて止む時なし。身を養ひて何事かを待つ。期する処、ただ老いと死とにあり。その来る事速やかにして、念々の間に止まらず。これを待つ間、何のたのしびかあらん。惑へるものはこれを恐れず。名利に溺れて先途の近きことをかえりみねばなり。愚かなる人は、またこれを悲しぶ。常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり。(これは第七十四段)

2004年11月11日

創刊の辞

早いもので、もう3月です。

今年も、多くの新しいプロジェクトに参画させていただいております。

どれも業界で初めての仕事かという内容の連続で、苦労と仕事冥利が混在して、時間の経つのがなお早く感じます。

世界情勢も神経質な動きです。

「歴史」=「時間の経緯」?

「せっかくの歴史から何も学ばない(学べない)」→「歴史は繰り返す」?

歴史と時間の関係や動きが一様でないこと、時間を遡るようなことが起こる現実、またはまるで様々な過去の歴史や文化が同時に存在して変化するようなことなどを目の当たりすると、結局、南極疲れてしまいそうです。

そんな中、アンチ巨人の人までアメリカの松井の活躍をいい気分転換にしているようです。

それにしても、日本の(そう英語が達者でないと思われる)若者の海外での活躍は素晴らしいものです。 TOEICナンカ実力のない人のカムフラージュかもしれないと思うのは、出来ない私のヤッカミでしょうか。

 でも海外に行かなくても、日本でも実力を発揮できる会社はあると思います。

 当社もその一つになりたいと思っています。

 そこで、日々の思いを徒然なるままに書いてみたいと思います。

「道は無限にある」  松下 幸之助

基本は、相手も認め自己も主張できる関係の構築と、実際の直向きな努力が大切そうです。

「春眠を さらに深める ホームラン」 春水

2003年3月

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